1.17 16年
今日で阪神淡路大震災から16年。
朝5時46分、被災各地で追悼が行なわれました。
震災当時、私は高校3年生の18歳。
長田区上池田の自宅で被災しました。
家族全員無事でしたが、自宅は半壊。
数日間長田高校の避難所で過ごしました。
最初の大きい揺れの直後、何がおこったか解らず
「世界の終わりが来た」と思いました。
情報もライフラインもない、不安と混乱の日々が続きました。
地震発生以来、外出できる格好のまま貴重品を枕元に置き、母と並んで眠る日々。
「寝てるあいだにまた揺れるかもしれない」
という恐怖が薄れ、
パジャマに着替えて寝られるようになるまでに
1年以上かかりました。
そんな混乱の中でも
身近な人の、また全国からの支援のおかげさまで
大学受験、進学を乗り越えることができました。
忘れようにも忘れられない16年前です。
自分の街に大地震がおこったことは不運ですが
かけがえのない経験であることもたしか。

南野尻池公園で、「希望の光」を灯しました。
お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りします。
朝5時46分、被災各地で追悼が行なわれました。
震災当時、私は高校3年生の18歳。
長田区上池田の自宅で被災しました。
家族全員無事でしたが、自宅は半壊。
数日間長田高校の避難所で過ごしました。
最初の大きい揺れの直後、何がおこったか解らず
「世界の終わりが来た」と思いました。
情報もライフラインもない、不安と混乱の日々が続きました。
地震発生以来、外出できる格好のまま貴重品を枕元に置き、母と並んで眠る日々。
「寝てるあいだにまた揺れるかもしれない」
という恐怖が薄れ、
パジャマに着替えて寝られるようになるまでに
1年以上かかりました。
そんな混乱の中でも
身近な人の、また全国からの支援のおかげさまで
大学受験、進学を乗り越えることができました。
忘れようにも忘れられない16年前です。
自分の街に大地震がおこったことは不運ですが
かけがえのない経験であることもたしか。

南野尻池公園で、「希望の光」を灯しました。
お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りします。